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岐阜のお茶旅 vol.13_有楽苑 国宝茶室 如庵  愛知県犬山市

2018.07.17

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愛知県の最北端、犬山市は岐阜県各務原市、可児市、多治見市と隣接しています。戦国時代に織田氏の所領となり、江戸時代には尾張藩付家老である成瀬氏の城下町として発展しました。国宝犬山城とともに当時の町割りが現在も見られます。岐阜県長良川の鵜飼いと同様、犬山市、木曽川の鵜飼も夏の風情ある名物です。
「犬山城」のほど近く、名鉄犬山ホテル内に「有楽苑」(うらくえん)国宝茶室「如庵」(じょあん)があります。

今回は、木の葉が鮮やかに彩る頃の「有楽苑 国宝茶室 如庵」をご紹介します。

有楽苑は、織田有楽斎(1547~1621年)が建てた茶室「如庵」と書院を中心に、有楽斎ゆかりの茶道の世界をしつらえた美しい庭園です。
有楽斎は織田信長の実弟で、信長とは13歳も離れています。本能寺の変で信長が亡くなってからは、徳川家康を助力したり、豊臣秀吉と家康との講和に際して折衝役を務めるなど
時の権力者には一目を置かれていた存在でした。千利休に茶道を学んだ有楽斎は、利休十哲の一人にも数えられています。後に、自ら武家の茶道「有楽流」を創始します。

美しい庭木の露地を歩くと、「ここは京都?」と思わせるほど、洗練されたしつらえを感じます。それもそのはず、茶室や書院は京都東山にある、建仁寺の塔頭正伝院に建てられたものでした。

 

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有楽斎は秀吉の側室となった淀君の叔父にあたり、後見人として働きます。関ヶ原の戦いでは、徳川に属し、その後は豊臣秀頼の補佐役として大阪城にとどまります。NHKの大河ドラマ「真田丸」をご覧になった方は記憶にあるかと思いますが、このドラマで有楽斎を演じていたのは、井上順さんでした。有楽斎は徳川と通じていたとして、大阪城を追い出されることになります。このあたりの描き方は、いろいろな意見があると思いますが、有楽斎としては姪の淀君、その子の秀頼を救ってあげたい気持ちが強かったかもしれません。大阪城を追われた有楽斎は、応仁の乱以降荒廃していた京都の建仁寺の塔頭正伝院を再興させます。

 

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有楽斎は隠居所、旧正伝院書院と茶室如庵を建て、晩年を家族とともに、茶人として生涯を閉じます。時代に翻弄されながら、苛酷な戦国の世を生き抜いた75年の生涯でした。上の絵は寛永11年(1799年)頃の如庵と書院です。
有楽斎はキリシタン大名だったと言う説もあり、洗礼名が「ジョアン」。その名をとって自ら造り上げた茶室の名を「如庵」としたと考えられています。

 

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国宝 茶室 如庵

 

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如庵 茶室内の模型

 

圧迫感のない、あたたかで柔らかい光が差し込む、和みの茶室を感じさせます。古暦を腰貼りにした暦貼り、竹を詰め打ちにした有楽窓からの柔らかな光は、時に幻想的に映ったことでしょう。また、内部を広く見せる工夫も幾つか施されています。後年、尾形光琳はこの席の写しを造っています。江戸時代を通じ如庵は名席としてあまねく世に知られていました。

 

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茶室の前のつくばいも当時の歴史を物語ります。この水鉢は加藤清正が文禄の役(1592~1593年)の際、釜山沖から持ち帰ったもので「釜山海」の銘を持っています。波に洗われて自然にできた水穴の石を利用したものです。

 

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如庵の隣にある旧正伝院書院(重要文化財)の縁側で、一服、頂きました。

 

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旧正伝院書院の内部です。襖絵として、長谷川等伯、狩野山雪の障壁画が残っています。(襖絵は特別見学会のみの公開。予約制です。)

徳川幕府の泰平とともに存続した如庵と書院は、明治維新の混乱期、廃仏毀釈の影響を大きく受けます。建仁寺塔頭正伝院は衰退します。その後、祇園の男衆達が買い取り「有楽館」と名をつけ、都下の集宴所として守られていました。しかし、経営が困難となり、明治41年、三井家が入手します。京都から、東京麻布の三井本邸に移築されたのです。そののち、戦争が激しくなる昭和13年、当主の三井高棟氏は神奈川県大磯の別荘へ移築させます。戦火を免れた如庵とその露地、書院は昭和45年、名古屋鉄道の所有となり、犬山城下の佳境に移築され、昭和47年「有楽苑」と名付け開苑し、今に至っています。

 

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旧正伝院書院の縁側。お客様を蚊から守る、「豚さん」。蚊取り線香入れです。お召しになっているのは軍服。この豚さんは三井家から、ずっと、蚊取り線香を焚いています。

変動する時代の中で、守り抜かれた有楽斎の茶の湯の世界。覇者に翻弄されながらも、運命に従いながらも、茶の湯を全うした有楽斎の生き方のように、守られ続けた有楽斎の遺産が故郷、尾張に残されたことは、偶然とは思えない縁を感じます。

 

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有楽苑には、新築された「弘庵」そして、有楽斎が大阪、天満に構えた茶室を古図にもとづいて復元した「元庵」があります。

 

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茶花園の石組も風情があり、一歩、一歩、足を運ぶたびに視点が変わり、木々の表情が豊かに変化を遂げます。

東京都にある有楽町(ゆうらくちょう)は有楽斎に由来するという説があります。関ヶ原の戦いの後、徳川方についたことで、有楽斎は数寄屋橋御門の周辺の土地と屋敷を拝領します。数寄屋は有楽斎の茶室を意味しています。有楽町(ゆうらくちょう)と名付けられたのは明治時代になってからです。しかし、有楽斎は生涯のほとんどを上方で過ごしており、江戸に来たという記録は残っていないようです。説の一つではありますが、「有楽」と「数寄屋」のワードは、茶人、有楽斎を思い浮かべてしまうことでしょう。

有楽苑 愛知県犬山市御門先1番地
アクセス 名古屋駅から名鉄犬山線 犬山遊園駅下車 徒歩7分
名鉄名古屋駅から40分
岐阜駅から名鉄各務原線 犬山遊園駅下車 徒歩7分
名鉄岐阜駅から30分

 

 

《これまでの記事》
●vol.1_見渡せば、山、山、山。山の中の岐阜のお茶
●vol.2_清らかな山の恵み。美しい村、東白川村のお茶
●vol.3_美濃白川茶発祥の地に残る いにしえのお茶
●vol.4_東白川村 昔ながらの秋のお茶
●vol.5_東白川村 五加(ごか)地区の無農薬の茶畑で・・・・。
●vol.6_郡上八幡の人々が愛する美味しいほうじ茶 田中茶舗
●vol.7_宗祇水に導かれて・・・お抹茶処 宗祇庵
●vol.8_郡上八幡 第13回 小那比茶 茶摘み・茶もみ体験
●vol.9_美濃焼の旅 土岐市 織部の日のお茶会
●vol.10_西美濃に銘茶あり 美濃いび茶 茶山正
●vol.11_尾張名古屋のお抹茶ワールド お茶と抹茶スイーツの店 茶縁
●vol.12_岐阜のマチュピチュ 天空の茶畑

この記事を書いた執筆者

平林典子日本茶アンバサダー

平林典子(ひらばやしのりこ)

「Lacue チーズ・お茶・ワイン」の教室を運営。セミナーやイベントを開催。煎茶道黄檗松風流師範。チーズプロフェッショナル(CPA認定)ソムリエ(JAS認定)中国茶インストラクター(ロ・ヴー認定)茶道の季節を愛でる思いを大切に、気軽に楽しく、美味しく、自由な発想でお茶を楽しむ教室やお茶会を開催しています。